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『ザ・マスター』

『ザ・マスター』

 

基本的には父と息子の物語であるし、共感、同一化、対峙、分離がフレディとランカスター・トッドとの間でどのように描かれるかが物語の肝になっていると思う。

 

海軍の中でのフレディ

 

フレディは海軍に属しているもののPTSDと思われる理由で一線からは退き、砂浜で警備にあたる任務に就いている。警備にあたるといっても、これが重度のアル中で、冒頭からヤシの実を砕いてそこにアルコールを入れて呑む姿が映される。フレディが行う活動は、規律と命令で御された軍のそれではなく、モラトリアム的に描かれている。終戦放送が流されるシーンにおいても、その放送に耳を貸すことはなく、魚雷の燃料をアルコールとして呑むというアル中っぷり。戦時に使用されるものを自身の欲望のために呑むことが、軍にいながら軍から逸脱しているというフレディの同一性の危うさ示す。戦争が終わろうが、終わらなかろうが、フレディにとってはあまり意味がない。 

その後、PTSDを患った兵士たちが集会に呼ばれ、君たちには明るい未来が待っている、社会のために働き、手に職をつけようといった旨のご高説が垂れられるが、その言葉を背景に映し出される兵士たちの顔からは虚無感が漂い、言葉の内容が相まってより一層空虚さを増す。視線が話者に向かわないもの、視線が向くもののマネキンのように硬直している者。なんか見たことあるなと思ったら、校長の演説を聞く学生たちのそれに近い。

 

アイロニカルな態度

 

フレディがロールシャハ・テストを受けるシークエンス。医師をおちょくるように、見せられる絵を女性器に例え、「アイロニー」の態度をとる。橋川文三から引用すれば「アイロニー(イロニイ)」とは「無限に自己決定を留保する心的態度」であり、フレディの性格を理解する上で重要なファクターとなる。

 

フレディと女性

 

ロールシャッハテストで使用される図版を女性器に喩えるということもフレディの性格を表す。物語終盤まで、彼は女性を性的にしか見ていない。デパートの売り子と関係を結ぼうとするものの、その後の食事のシーンではすぐに眠ってしまい、売り子との会話はなされない。信者の家で催されたパーティーにおいて、空想の中で女性を全裸にすることがそれをさらに如実に表す。フレディは女性と性的に関係を結ぶことができるものの、一人の男性と女性としての結びつきを得ることができない。

 

身体

 

歩く際、常に猫背であり、前のめり、喋るときは口の左側のみで喋る。つまり、「歪んで」いる。自信の無さを感じさせるとともに、直立したライナーな身体をもたない、無軌道な生を表象する。

 

無軌道

 

フレディという人物の性格を最も如実に表すのが「無軌道」であり、今までの要素が全てここに収斂する。フレディの生には目的がない。行き着く先が無い。だからこそ、女性とは性という瞬間の結びつきしかできないし、アイロニーな態度で決定を留保する。仕事では理性で制御できず、その場の感情から逃亡する。キャベツキッピングの仕事に就くものの、フレディ特性ドリンク(アルコールに柑橘類、何かしらの錠剤?の「ごちゃまぜ」)を呑ませ、共に働く老人が死にそうになる際も自分のせいではないと逃亡する。逃亡するこのショットがめちゃくちゃ美しく、これを観れただけで、もうこの映画は素晴らしいと言いたいんだけど、その絵は意味をもっている。扉を開かれた瞬間に映される風景は霧に囲まれ、その先は森である。森は無秩序のメタファーであり、フレディの人生を暗示する。さらに3つ目の逃亡、ランカスターとその娘、娘婿と目的地を決めてそこまでバイクで走って戻って来るというゲームを行うシークエンス。目的地を曖昧に指差し、走っていくが、フレディは戻ってこない。生への意味=目的が見出せず、無秩序を無軌道に彷徨する。その動きはアルコールの酩酊のように軸がない。ジョニー・グリーンウッドの音楽は揺れるストリングスの音を用いており、この無軌道性とそこからくる不安を裏打ちしている。

 

ランカスター・トッド

 

ランカスターは生に大きな意義を持っている。ザ・コーブの教義を広め、救済をもたらすことであり、家族、教会の父であるということである。フレディが乗った「船」がランカスターの役割を表す。彼は目的地に向かう「船=家」の舵取りであり、信者たちを導くという目的をもっている。オープニング、上空からの撮影で「ライナー」に進む船が引く波はランカスターの生き方に結びつく。フレディの「無軌道」にたいし、ランカスターの生は「ライナー」だ。

 

ランカスターとフレディの邂逅

 

ランカスターが舵取りをする船にフレディが乗ることから邂逅が始まる。信者を含めたランカスターのファミリーの中で、フレディは異質であり、秩序を壊しかねない闖入者である。故に、ファミリーを守るランカスターの妻ペギーはフレディを排除しようとする。ランカスターはメシアとしてファミリーを導くことに、ペギーはファミリーを守る母としての役割を担う。しかし、ランカスターはフレディにたいし愛着を覚える。通過儀礼を経ていない未分化な性質はランカスターが既に終えた性質であり、ザ・コーブが目的とする救いをもたらすためのこれまでにない対象となる。また、未分化な状態という意味では、未だ父に同一化できていない息子としてランカスターには映り、自身が過去にはあったろう状態に共感すら覚える。フレディに対するランカスターの態度は排除ではなく、救済しようとする暖かさをもつ。だからこそ、フレディのつくる得体の知れない液体を共に飲む。

 

フレディの告白

 

ランカスターがザ・コーブの教義に則って、フレディに心理実験を試みるとき、最初フレディはお得意のアイロニーではぐらかそうとする。しかし、質問を繰り返されるうちにフレディの精神を大きく形成した事柄にたどり着く。叔母との性的関係である。この告白がフレディとランカスターが息子と父という関係性に至る決定的な要因となる。息子=フレディは、ランカスター=父に罪を告白し、救済または罰を求める。この告白からフレディの実の父の不在も感じさせる。フレディの取り乱しが、この罪を父に告白しなかったこと、父が不在であったことを浮き彫りにする。

  

フレディの過去の女性

 

叔母との性的関係に加え、フレディの精神を作り出したもう一つの重要なことが語られる。ドリスとの恋愛だ。女性と性的にしか関係をもつことができなくなる前、フレディはドリスと、男性と女性としての関係を結ぼうとしていた。ドリスと並ぶ構図はフレディの内面を表しており、未成年の女性にもかかわらず、ベンチに座るフレディをドリスよりも小さく描くことでフレディのドリスに対する自信の無さが見てとれる。しかし、任務に就く前、ドリスの家を訪れ、帰ってきたら結婚をすると告げることで、ドリスと向き合う。だが、任務に就いたフレディはPTSDとなり軍務を成し遂げる(=通過儀礼)により同一性を獲得することができず、再度自信を無くし、ドリスとの連絡を絶ってしまう。ドリスとの恋愛を成就させることができず、フレディは未分化のままに止まる。

 

ランカスターの代理者としての暴力

 

ランカスターが侮辱された時、フレディは暴力によって父であるランカスターの権威を守ろうとする。より詳細にいえば、「フレディの中での父」の権威を守ろうとする。フレディにとって、ランカスターが侮辱されるということは自分の父を失うことであり、無軌道な生から自身を導くメシアを見つけたにもかかわらず、再度その舵取りを失うことになるからだ。ランカスターは一貫してフレディの暴力性を諌めようとしているのであり、フレディの暴力はランカスターの代理行為ではなく、自身のエゴイズムから出ている。ランカスターが自分を導きえる存在ではないのではないかということを打ち消すかのように、暴力という直接的な行為によって自分のなかの父を守ろうとする。

 

教化

 

フレディの救済のため、ランカスターはフレディを教化しようとする。基本的には、ドリスという過去の乗り越え、暴力性の排除、また黒を白と思わせる洗脳に近い教化だが、フレディはこの教化に対し順応することができない。ここからフレディはランカスターに対し、疑いを持ちはじめ、先ほど述べたようにランカスターを侮辱する人物に対する暴力によって疑いを打ち消そうとする。しかし、ライナーな生へと導こうとするランカスターに対する疑いは打ち消すことができず、バイクで疾駆することで、無軌道な生へと再びフレディは戻っていく。

 

劇場での夢

 

映画館のなかでまどろむなか、フレディはランカスターから電話がかかってくるという夢をみ、その夢に従ってランカスターの元を訪れる。そこでランカスターから協会の一員となるか、ここから出て行き自分の敵となるか、という選択を迫られる。何度かの教化によっても順応できなかったフレディの無軌道な生は、巨大となり家父長制を強めるザ・コーブにとってもはや脅威だ。ここでフレディはランカスターから離れることで、父との同一化を拒み、分離というかたちで別の生き方を選ぶこととなる。

 

ラスト

 

酒場で呑んでいたフレディは匿名の女性と出会い、性的な関係を結ぶが、フレディから分離する前の性的な関係だけではない、男性と女性の関係性をもっていることを、窓から差し込む陽光と、名前を聞く(性欲を満たすだけの匿名な存在から一人の女性へ)という行為が暗示する。ランカスターが歩むライナーな生き方とは異なるかたちで、フレディは無軌道ながらも関係性を結んでいくことで、再び自身の生を取り戻す。最後のショットは序盤のショットでも描かれた砂でつくった女の横で寝そべるというものとなっており、ランカスターのライナーな生にたいし、円環構造へと戻ったということを示す。女性との関係性を見出しということにより、その円環は上下左右どこに行くかわからないものの、その円は少しずつ移動をしている。