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『ディストラクション・ベイビーズ』

『ディストラクション・ベイビーズ』観てきました。日曜のラストにもかかわらず満席でしたね。他の回も立ち見が出るぐらい盛況なようで。観客はシネフィルっぽいおじさん以外にも、若い子が多かったです。若い監督の映画を、同じ場所で同じ世代の人間と観るのは良い。岩波ホールなんか行くと、じっちゃんばっちゃんばかりで、ちょっと悲しくなりますから…。

 

映画の内容ですが、いきなりこんなこと言ったら身も蓋も無いですが、「ぶっ殺してえ」、「殴りてえ」って欲望をみんな抱えてんだよ!って話だと思います。全編とにかく殴りっぱなし。ほとんど暴力シーンです。 この暴力シーンを長回しで撮っているのが非常に良かった。長回しとなるとなんでもかんでも礼賛することには疑問を持ってしまいますが、暴力シーン、特に生っぽい暴力を描くときこそ、長回しにすることでリアリティが生まれます。

 

暴力を描くことで何を伝えたかったのか、以下で考察していきましょう。

柳楽優弥演じる泰良は動機もなく喧嘩をふっかけてただただ殴り続ける「暴力」の象徴として描かれています。「暴力」を象徴する人物というと『ノー・カントリー』のシガーを思い出しますね。「暴力」を純粋培養した存在がシガー。ただ、泰良はちょっと違います。正確に言えば「暴力」の象徴ではなく、「暴力の欲望」の象徴だと思います。シガーは感情が全くありませんし、標的を殺すこと以外に無駄がない。スタイルと言えるまで削ぎ落とされた「暴力」そのものです。それに対して、泰良は楽しいという感情を見せるし、行動が無軌道です。つまり、「暴力の欲望」は抽象的なものではない、もっと生身で無軌道なものであるということ泰良が体現しています。 この「暴力の象徴」という人物が、非常にうまく設定されています。まず、惣領はほとんど喋らない。そして、ぶん殴り、殺すことに動機がない。両親がいないことなど若干の手がかりはあるものの彼のバックバーンはほとんど説明されない。つまり、「暴力の欲望」は喋りもしないし、動機もない、そこに背景もないということを、上記のような人物設定にすることで、より際立たせています。最後に警察が泰良を発見しますが、警察は「暴力」を抑圧するものです。しかし、泰良は捕まることもなく、殺されることもない。むしろ警察を殺してしまいます。これは「暴力の欲望」を抑圧することはできても、その原始的な欲望を殺すことはできない、それを表しているのではないでしょうか。

その泰良を見て、裕也と那奈は惹かれていきます。つまり、原始的な欲望である暴力に惹かれてしまう。裕也は明からさまに泰良に惹かれていきますが、那奈も惹かれていることを、裕也と泰良が暴行する動画を見る表情で見せているんですね。そして、泰良の弟、翔太も例外ではありません。祭で神輿を担ぎ、ぶつかり合う男達を見て翔太は目を潤ませます。暴力の代替行為である祭に翔太も惹かれてしまっている。そして、もちろん祭に参加する大人たちも、「暴力の欲望」を持っています。

那奈が保護された後、SNSの画面が映され、「那奈ちゃん可哀そう…」といったことが書かれていますが、それを書いている人も同様です。暴力をスマホで撮る通行人も、そのニュースを見たがる人も、安全地帯にいながら「暴力の欲望」を持っているのではないでしょうか。

飲み屋で『ディストラクション・ベイビーズ』の話をしているとき、動機なき暴力と聞いて隣のおじさんが「そういう時代なんじゃない…?」と言っていましたが、はたしてそうでしょうか。古今東西、人間が動機のない「暴力の欲望」を完全に失ったことはあったのか。むしろ原始的な欲望として、「ゆとり」だか「さとり」だか言われる世代も、その上の世代も、常に持ってきた欲望ではないか、それを表現している映画だと思います。

本当にどこをとっても良い映画なのですが、一点、瑕疵を言うとすれば、那奈がはたかれるシーン、顔が髪の毛で隠れてしまっていることぐらいですかね。代役立ててんのかなあと思わせてしまうので…。それも微々たるもので、本当に素晴らしい映画です!